中山亮太郎/マクアケ社長の経歴や学歴!出身大学や高校はどこ?【カンブリア宮殿】

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1月28日のカンブリア宮殿に出演されたMakuake(マクアケ)社長の中山亮太郎さんが話題です。

Makuake(マクアケ)は、です。

そんなMakuake(マクアケ)の中山亮太郎社長、どんな経歴の方なんでしょうか?気になりますね。

出身大学や高校などの学歴や経歴など、気になることをまとめました。

結婚して奥さんや子供はいるのかな?年収はいくらぐらい?と気になる方はこちらもどうぞ!

▶︎ 中山亮太郎/マクアケ社長の家族はどんな人?結婚した奥さんは美人?子供は?

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中山亮太郎 Makuake(マクアケ)社長の経歴は?

 

 

まずは、Makuake(マクアケ)の中山亮太郎社長の簡単なプロフィールからです。

中山亮太郎 (なかやまりょうたろう)さん プロフィール

肩書:株式会社マクアケ 代表取締役社長
生年月日:1982年4月11日
年齢:38歳(2021年1月現在)
出身地:埼玉県八潮市
血液型:B型
趣味:日本映画、サウナ、アニメ
好きな飲み物:赤ワイン
好きな歌手:ZARD

出身大学:慶應義塾大学法学部
出身高校:芝浦工業大学附属高等学校

【職歴】
2006年:サイバーエージェント入社
2010年:ベンチャーキャピタリストとしてベトナムへ赴任
2013年:日本へ帰国、サイバーエージェント・クラウドファンディング社を設立。クラウドファンディングサイト「Makuake(マクアケ)」を運営。
2017年:株式会社マクアケに社名変更
2019年:12月に東証マザーズに株式を上場

 

 

サイバーエージェントで社長室に配属、海外赴任も経験し、VCとして活躍、社内ベンチャーを立ち上げてスピンアウトして上場まで持って行った若手社長。

こう見ると中山亮太郎さんの経歴って、ピカピカです。

サイバーエージェントで藤田社長のそばで経営を学び、自らも起業で成功したお手本のようですが、マクアケを軌道に乗せるまでは大変なご苦労があったそうです。

今でこそサイバーエージェントはネット系では大企業、新卒の学生が志望先にあげても笑われることはありませんが、中山さんが就活をしていた当時は、せいぜいアメブロぐらいしかサービスがなく、周りの慶応の友達からは就職先を話すと「えっ?」と言われたそうです。

 

けれどサイバーエージェントを就職先に選んだ理由が、とても合理的でしっかりしてるんですよね。

IT企業であること、そして成長中の若い会社なら、20代のうちに事業を起こすチャンスがあるはず、新しい産業ならベテランと同じ位置から始められるし、スタートが同じなら若いほうが勝つと思っていたそうです。

学生時代にちゃんとそこまで考えて、ブランドに左右されずに進路を決められるなんてさすがです。

新人で社長室配属というのもなかなかないと思うのですが、そんなチャンスをがっちり引き寄せてしまうところもすごいと思います。

なんでも最初に配属を決める時の藤田社長と面談の場で「将来社長になりたいです」と言ったそうです。

藤田社長に、「なんで?」と問われて答えた言葉が「本能です」というのも素敵だし、「そういうもんだよね。なら社長室どう?」と決めてしまう藤田さんも素敵。

サイバーエージェントが小さい頃に入ったからこそのチャンスですよね。こういう話聞くとほんとワクワクします。

運転手や社長のアシスタントなど、ずっと藤田社長のそばで過ごせたことはプラス以外の何物でもないですよね。

今でも「藤田さんに夢の中でアドバイスされる」ことがあるほどなんだそうです、どれだけ尊敬しているかがよくわかるエピソードですよね。

 

とにかく「事業を作り」たくてしょうがなかった中山さん、それも「世界中の隅々に価値を残せる会社を作りたい」と世界を強く意識しているのに、渋谷周辺、山手線の中でしか動いていないことに危機感を感じ、ベトナムのベンチャーキャピタルのポストが空いているからという上司の話に真っ先に手を挙げ、ベトナム赴任の道を開きました。

ベトナムでは、積極的に街を歩いて「肌感覚」をつかむようにしたりと、とにかく行動的ですよね。

やはり成功する方は行動力が違います。見習いたい。

 

約2年でベトナムでの仕事を終え、帰国、社内ベンチャーとして、今のマクアケの前身であるサイバーエージェント・クラウドファンディング社を設立します。

サイバーエージェントグループの新規事業としてクラウドファンディングに取り組むというと聞こえはいいけれど、当初はクラウドファンディングで資金さえ集まればいいのではないかという仮説を持って、Makuakeを“募金サイト”の発想で始めたことが、後から考えると最初の失敗だったそうです。

ベンチャーキャピタル出身ゆえの発想でしたが、実際のニーズの解像度を高めないままにビジネスを始めてしまったことで、400社もアポイントを取って話をしても、全く相手に話が響かず、どこも提携してくれなかったそうです。

みるみる減っていくキャッシュ、半年に一度の「延命処置」としての投資元サイバーエージェントとの面談、と常に資金の心配はついて回りながらも周りからは「何かあってもサイバーエージェントに戻れるんでしょう?」と色眼鏡で見られ、誰にも相談できないきつい日々だったそうです。

なんとかあと半年、と食らいついて延命しているうちに、気づきの時がやってきました。

創業後すぐにプロトタイプを作るためにMakuakeを利用した、メイド・インジャパンの時計ブランド、Knotの遠藤弘満社長に言われた一言です。

Makuakeはお金を集めるサイトじゃないよ

 

お金さえあればいいものを作って世に出せるはず、だからお金集めが大事、と思っていた中山さんには衝撃だったようです。

「在庫を抱える前にお客さんを捕まえられる」「買ってくれる人がいる、とわかる」テストマーケティングの方が、当事者のメーカーにとってはずっと大事なことなのだと、初めてわかったそうです。

ようやく方向性が見えて、いけるという自信がついたものの、財務状況は急に良くなるわけではなく、サイバーエージェントには3度目の追加投資を頼まなければならない状況でした。

とりあえず3度目は融資で延命してもらい、黒字も見えてきたけれどというときにいよいよ資金がピンチになり絶体絶命となりましたが、そこに救世主が現れます。

サッカー選手を引退したあとは投資家としてエンジェル投資のためのファンドを運営している本田圭佑さんからの出資の打診でした。

本田さん自身自分でクラファンの会社を立ち上げようと考えたこともあるほど、業界のことを調べ上げ、マクアケに目をつけたのだそうです。

そしてさすが本田さん、

Makuakeが時価総額1兆円規模の会社になる

 

と言って、藤田社長さえ驚かせたそうですよ。

実際の投資実行までは時間がかかりましたが、本田さんとのミーティングを通してさらに事業プランも明確化することができ、その後の躍進につながっていきました。

本田圭佑さんからMakuakeへの出資を発表させていただきました。
クラウドファンディングの未来やMakuakeの未来に大きく共感していただき今回の形に。
より良いサービスにするために、本田さんならではの強い発信力や国内外での広いビジネスコ…

中山 亮太郎さんの投稿 2017年7月31日月曜日

 

確かにクラファンって、初期のイメージと今では随分違ってきていますよね。

私も今回中山さんや本田さんのインタビューをたくさん読んで、クラファンの本質を学ぶことができました。

 

学生時代の話は次で詳しくお届けしますよ!

 

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中山亮太郎 Makuake(マクアケ)社長の学歴、出身大学や高校は?

 

中山亮太郎さんは、慶応大学を卒業されています。

慶応といえば、誰もが知るトップクラスの私立大学ですね。法学部の偏差値は67.5〜70.0。

出身高校は、芝浦工業大学附属高等学校です。

 

芝浦工業大学へそのまま進学するのではなく、慶応大学へ進学したのは、弁護士の出身大学で多かった大学の中から選んだ結果だそうです。

弁護士になる、という宣言には実は裏があり、本当はサッカー選手になりたかったものの、高校に入ってから上には上がいると悟り、サッカー選手の夢を諦める言い訳だったそう。

弁護士になるのは難しそうだから、サッカーを諦めるもっともらしい理由になってカッコがつくかな、と思ったそうです。

高校生らしいというか、男の子だなぁというか。かわいい。

言った手前法学部には入らないといけないので、浪人して慶応に入学されたそうですが、実は弁護士という仕事がよくわかっていないままだったので弁護士事務所でアルバイトを始めたところ、弁護士の仕事よりもゼロから事業をつくっていくことのほうがおもしろそうに思えたので、方針を転換されたということです。

なんかそれわかる気がしますよね。

新規事業の法律相談にやってくる起業家なんて、きっとみんな目がキラキラして夢を語っていたに違いありません。魅力的に見えたのは無理もないことです。

 

はたから見るとコロコロと進路を変えたように見えなくもないですが、学生時代にいろんな刺激を受けて、心が動いた方に進んでいった中山さんの決断する力、素晴らしいと思います。

またその姿を見ていて、ここぞというときにお父様がかけた言葉が素晴らしいんですよね。

 

人として生まれたからには、社会に何か価値を残すべきだ。子どもを残すのもいいし、事業を残すのもいい

 

普段あまり何もおっしゃらないお父様が、家族で焼き肉屋さんに行ったときに突然、改まった顔で、こう言われたそうです。

そこで、自分は事業を作るんだ、と決意が固まったそう。

お父様かっこいい。

そんなお父様は、山口から裸一貫上京、ゼロから医学書の出版社を立ち上げて、40年近く続けていらっしゃる現役の経営者、そしてお爺様は林業を営んだ後、個人投資家になられた方、ひいお爺様は。山口で大工さんをなさっていた、と自らの手で何かを作るという血が流れていたんですね。

中山家はベンチャー気質の家系だったのですね。

慶応大学というブランドから大手企業に就職しなかったのも頷(うなづ)けます。

 

結婚して奥さんや子供はいるのかな?年収はいくらぐらい?と中山社長のことをもっと知りたい方はこちらもどうぞ!

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▶ 中山亮太郎マクアケ社長の年収はいくら?資産は35億?


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中山亮太郎 Makuake(マクアケ)社長の経歴や学歴まとめ

Makuake(マクアケ)社長の中山亮太郎さん、

慶応大学を出て、サイバーエージェント、海外でのベンチャーキャピタルの経験から社内ベンチャーを立ち上げて上場を果たしたエリート起業家、というイメージでしたが、そこまでの道のりがドラマチックすぎました。

マクアケと中山社長のファンになっちゃいますね。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました^^

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