4月30日のカンブリア宮殿に出演された出前館社長の中村利江(なかむらりえ)さんが話題です。
新型コロナウイルスの影響で、利用者が激増している出前・フードデリバリーは利用したことある方もおいと思いますが、ネットで簡単にデリバリーを注文できる「出前館」アプリは実は20年ぐらい前からあったそうです。
そんな出前館の女性社長はどんな方なのでしょうか?経歴や学歴など、気になるプロフィールまとめました。
中村利江 出前館社長の学歴・出身高校や大学は?
中村利江 (なかむらりえ)さん プロフィール
生年月日:1964年12月16日
出身:富山県高岡市
出身高校:富山県立高岡高等学校
最終学歴:関西大学文学部卒業
家族:夫と息子
趣味:スキー・ダイビング
現職:出前館代表取締役社長
「飲食店なくして出前館は成り立ちません」。出前館は休業や営業縮小を余儀なくされている飲食店スタッフを臨時で雇う「緊急雇用シェアプロジェクト」を強化すると発表。出前館の中村利江社長に聞いた。#日経ビジネスhttps://t.co/TqtkhKgu9g
— 日経ビジネス (@nikkeibusiness) April 23, 2020
富山県で建設業を営む父のもとに、三姉妹の長女として生まれた中村利江さんは、かなり厳しく育てられたということです。
お母様はとても厳格で、門限は夕方6時、いつも「勉強しなさい」といわれ、習い事もピアノやそろばんなどほぼ毎日で、忙しい小学生だったそうです。
一方で、まだ海外旅行が珍しかった時代に家族で海外旅行に行き、外国で買ってきたひらひらしたワンピースを着せられて学校に行かされたせいで、成金と男の子たちからいじめられたりして、早くこの家から逃げ出したい、と思ったこともあったとか。
田舎のお金持ちで何不自由ない生活だったのかと思いきや、自由な時間もなく、勉強しなさいと毎日言われていてかなり窮屈さを感じていたようですね。
いつも勉強していたおかげで成績が良かったため、県内で有数の進学校の県立高岡高校に進学、中学から続けていたバレーボール部に入って練習に打ち込んだそうですが、その理由も「勉強から逃げたかったから」というのはちょっと切ないです。
県立高岡高校はいまでも偏差値68の進学校で、伊藤源太、秋野由美子、大木浩司などNHKのアナウンサーになった方も多い高校です。
他に有名人では、正力松太郎さん(元巨人オーナーで柔道家)、藤子不二雄Aさん(漫画家)、タレントのモーリー・ロバートソンさんなども卒業されています。
小さい頃からずっと家を出て自由になりたかったので、大学は絶対県外と決めていたので、いくつか受けた私立大学の中から関西大学文学部に進学されました。とりあえずご両親へのポーズとして「お茶大」(国立お茶の水女子大学)も受けたそうです。田舎のお金持ちで娘を持つご両親に絶大な信頼があるようですね、お茶大は。
やっと自由になれた!と嬉しかったそうですね。
早速部活やアルバイトなど、学生っぽいことをいろいろ始めてみたものの面白くなくてどれもすぐやめてしまったそうです。部活をやめた理由はちょっと別で、チアガールに群がるカメラ小僧が気持ち悪かったからだとか、わかる気がします。
なにか自分でできる仕事ってないかなーとぼんやりと考えていたところへ、いつも講義に遅刻してくる男子が行ったこの一言で、ひらめきが降ってきたそうです。
あ~、かわいい女の子が毎朝起こしてくれたら、遅刻なんかしないのに
何いってんの、可愛い子なら周りにいっぱいいるじゃないといいながら、「女子大生を集めて、モーニングコール事業やればいけるんじゃね?」と思うあたり、根っからの起業家気質がみられますね。
当時はまだ学生起業家なんて言葉なかったはずですが、アイディアや企画力があって人を集めてパーティしたりビジネスの真似事する学生って、昔から一定数はいましたもんね。
早速チラシをまいて宣伝したところ、社会人を中心にどんどんオーダーが入ってきたそうです。
女子大生が面白いビジネスを始めた、と朝日新聞の「天声人語」に紹介されたことで話題になり、さらにオーダーが殺到し大人気のビジネスになったそうですが、請求という落とし穴があったことに気づかなかったところが学生の甘さだと、御本人も苦笑いされていました。
請求書を送っても、取りっぱぐれが増え、回収できなかったそうなんですね。自動引落とか思いつかなかったそうです。
この事業からは早々に撤退したけれど、300人くらい登録してくれていた女子大生を企業に派遣するビジネスに切り替え、結構稼いだそうですよ。失敗してもすぐ立ち直ってすぐ次のチャレンジするところも起業家気質ですよね。
バブル期の女子大生ブームもあったとはいえ、そのチャンスを見逃さないところもすごいなーと思います。
その後入社するリクルートで活躍するのは当たり前のように思えます・・・
「天声人語」の縁から朝日新聞の局長に「面白い会社だよ」と紹介されてアルバイトを始めたのがリクルート。「月間ハウジング」という雑誌の写植校正から始まって、最後は関西版の立ち上げや編集まで、3年と4年の2年間、ほぼフルタイムで働き、学校よりリクルートにいる時間のほうが長かったそうです。
学生のアルバイトに新しい雑誌の立ち上げや編集を任せるって、いかにも活気ある頃のリクルートらしいエピソードですね。
ほんとあの頃のリクルートはすごかった。まだ創業者の江副さん(江副浩正)が社長だった頃なので、関西でバイトとはいえ、江副イズムを直接感じ取れた時代のはずです。
そのままリクルートに入社しちゃうのも当然の流れって感じです。水を得た魚っていう感じだったというのが想像できますね。
テレビ東京「ニュースモーニングサテライト」の「リーダーの栞」でインタビューを受けた際にも、リクルートの本を紹介されていました。
中村利江 出前館社長の経歴(職歴)
リーダーの栞:夢の街創造委員会 中村利江社長
2015/07/28
出前のポータルサイト「出前館」を運営する企業、「夢の街創造委員会」の中村利江社長が紹介する本はhttp://t.co/V9qhsH9aJR pic.twitter.com/Waj2ok2qJK— テレビ東京ビジネスオンデマンド (@txbiz_ondemand) August 23, 2015
出前館社長の中村利江(なかむらりえ)社長のリクルート入社以降の職歴は、ほとんどの肩書が役員とか社長なんですよね。すごい。
- 1988年 4月 株式会社リクルート入社
- 1998年 1月 株式会社ハークスレイ(ほっかほっか亭運営会社)
- 2001年 7月 当社取締役
- 2002年 1月 当社代表取締役社長
- 2009年11月 当社代表取締役会長
- 2009年12月 カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社CHRO[最高人材責任者]
- 2010年 6月 同社取締役ネット事業本部長
- 2011年 3月 株式会社オプト取締役
- 2011年 4月 株式会社アイ・エム・ジェイ取締役
- 2011年11月 当社取締役会長
- 2012年 4月 カルチュア・コンビニエンス・クラブ株式会社取締役執行役員
- 2012年 9月 当社代表取締役会長
- 2012年11月 当社代表取締役社長(現任)
- 2013年 3月 日本フードデリバリー株式会社 取締役(現任)
- 2013年 5月 株式会社薩摩恵比寿堂 取締役
入社したリクルートでは、東京配属となり「月間ハウジング」の営業をすることになり、流石にやめようと一瞬考えたそうです。リクルートの営業の激烈さは有名でしたもんね。
でも、目標数字を決められちゃったらやる気スイッチが入ってしまい、夜討ち朝駆けも厭わず『最優秀営業マン賞』(要はトップセールス・MVP)をとっちゃうところがすごいです。
旦那さんが大阪にいる(てことは逆単身赴任)ので帰りたいと直訴したら、「目標300%を達成したら帰してやる」と言われて達成しちゃったって。。。。いい意味でイノシシですね。
それでも、出産を機にリクルートを退職。
おどろきなのが、あのリクルートでも中村さんが新卒で入った時代は「女は結婚・出産で会社をやめるのが当たり前」の風潮があったということ。
今夜のカンブリア宮殿は今、注目の出前代行業界で加盟店舗数ナンバーワン、「出前館」の人気の理由に迫ります。
この春、地方の名店の味を東京で出前で楽しめる、
というプロジェクトもスタート。第一弾は仙台の予約が数カ月先も取れないという高級中華の名店です。詳しくは番組で! pic.twitter.com/ZcPliJKVda— カンブリア宮殿 (@cambrian_palace) April 30, 2020
じっとしていられないタイプなんでしょうね、子育て中もインテリアの勉強をしてインテリアコーディネーターの資格もとっちゃって、コンテストで賞を受賞、フリーランスのデザイナーとして、モデルハウスや注文住宅の設計の仕事をこなしてしまうんですね。
当時インテリアコーディネーターって女性に人気でしたけど、建築現場は男社会で大変だったはずですが、ご実家が建設業だから、もしかしたら小さいころに覗いていて感覚がつかめていたのかもしれないですね。
子育てが一段落して入社したほっかほっか亭運営会社のハークスレイでは、チラシの年間経費を億単位で削減して、半年後にマーケティング部の管理職に昇進しちゃうとか、分析して課題を見つけて成果を出しちゃうサイクルがめちゃくちゃ短いんですよね。
制服着るのがいやだからどうすればいいか?管理職になっちゃえばいいんだ!という動機が面白いですが、やりたくないこと、やらなくていいことをやらないためにどうしたらいいかって考えるのもすでに課題を見つけて解決するパターンがハマっています。
ハークスレイでも「290円牛めし」の商品開発ストーリーやコンビニと持ち帰り弁当の競争を、テレビ向けに企画書を作って売り込み、バカ売れさせたりと、企画力と行動力を発揮されますが、お子さんとの時間をもっと持ちたいとか、このままこの会社で骨を埋めるのかとか疑問がわき、独立して経営コンサルティングの会社を立ち上げてしまいます。
大学時代のモーニングコール事業や、牛めしの話を聞かされたら、うちもコンサルお願いって言いたくなるでしょうね〜。
出前館はその時のクライアントの1社だったそうですが、出会ったのはハークスレイ時代で、その時はまさか自分が将来出前館の社長になるとはみじんも思わなかったそうです。
「これまでの出前の常識は玄関ポストのチラシだった。でもスマホの普及でそれが変わった」(出前館を運営する夢の街創造委員会社長 中村利江氏)。
「吉野屋はデリバリー初心者。リアル店舗では7割が男性なのにデリバリーでは女性が多い」(吉野屋社長 河村泰貴氏)。 pic.twitter.com/govDH7jYZo— 山田祥平(syohei yamada) (@syohei) July 26, 2017
2億以上の赤字を抱えた、月商がわずか20万ほどのクライアントから「社長をやってくれ」って頼まれたときは周りは大反対だったそうですが、ビジネスモデルはおもしろいからやり方次第で伸ばせる、と決断し37歳のときに社長に就任。チャレンジャーですね。
誰よりも安い10万円の給料で誰よりも働き、ついてこれない社員には辞めてもらうなど、御本人も何度もやめたいと思うくらい辛かったそうですが、その時期を乗り越えて、社長就任後4年目の2005年に創業以来初の黒字化達成、2006年にはヘラクレス(現ジャスダック)市場に上場と、まさにV字回復させてしまいました。
24時間ずっと「あったらいいな」と思える新サービスを考え続け、できることは全部やる!と言葉だけ聴くとブルドーザーのようなイメージですが、中村さんからはどこか柔らかくて暖かいものを感じます。
扱っている商品が「食」という生活と切り離せないものだったり、出前という地域密着のサービスだからでしょうか?
2020年の春にはLINEから300億の出資を受け、実質子会社化、ご自身は社長を譲り会長に就任することが決まっていますが、追い上げてくるウーバーイーツなど競合との戦いを勝ち抜くために、現場を知り尽くしている中村さんの力はまだまだ必要そうですね。
中村利江 出前館社長の経歴や学歴まとめ
富山のお嬢様育ちだった中村さんは、厳しいしつけと「勉強しなさい」と言われ続ける毎日から脱出したくて関西大学に進学されましたが、経歴を見るとやはり経営者の血を引いているのだなという印象を受けます。
女子大生時代のアイディア事業からはじまったリクルートとの出会いが決定的だったのではと個人的には思いますが、とにかく企画力・行動力が半端ないですよね。
コロナで大変な時期、飲食店の従業員を緊急雇用したりと、飲食店の現場を知っているからこそできるタイムリーな施策など、会長になってからもまだまだ活躍されそうですね。
中村さんの旦那さんやお子さんのことが気になる方はこちらもどうぞ
最後までお読みいただき、ありがとうございました^^
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